三国時代の百年史
184年の黄巾の乱から280年の呉滅亡まで、乱世の百年を時系列で辿る歴史年表
231件
掲載イベント
約100年
対象期間
138名以上
登場人物
82箇所以上
関連地名
後漢末期
184〜199
約16年
黄巾の乱をきっかけに、後漢王朝の統治力が急速に衰えた時代。宦官と外戚の争い、董卓の専横、各地の軍閥が自立を始める。
群雄割拠
200〜219
約20年
官渡の戦いから赤壁の戦いまで、北方の覇権をめぐる曹操と袁紹の決戦、そして天下三分の計が実現した決定的な時代。
三国鼎立
220〜249
約30年
魏・蜀・呉の三国が正式に建国し、相対する最も長い時代。諸葛亮の北伐から司馬懿の台頭へと、晋への伏線が張られる。
晋への道
250〜280
約31年
司馬氏が蜀漢を滅ぼし、呉を併合して晋が天下を統一。百年の乱世に終止符を打ち、新たな王朝が開幕する。
張飛が関羽の仇討ちのために伐呉準備中、部下の範彊・張達に殺害される。
劉備が孫権への報復に出陣。陸遜の火攻めで劉備軍は壊滅。劉備は白帝城に逃れる。
三国時代
孫権が魏から呉王に封じられ、後に皇帝を称して呉を建国。三国鼎立が完成した。孫権は長江を天然の要害として魏・蜀の侵攻を防ぎ、江南の開発を進めた。呉は三国の中で最も長く存続した国となる。
蜀
劉備が陸遜に夷陵で大敗し、蜀漢の兵力を大きく損った。
呉
孫権が呉王に即位し、呉の建国の基礎を固めた。
劉備が白帝城で病死。臨終に際し諸葛亮に「君の才は曹丕の十倍、もし嗣子が補佐できなければ君自ら取れ」と後事を託した。後主劉禅が即位し、諸葛亮が丞相として蜀漢を支えることになった。
劉備が夷陵の敗北後、白帝城で病死し、諸葛亮に托孤した。
劉備が白帝城で病死。臨終の際、諸葛亮に「君の才は曹丕の十倍」と託孤する。
劉禅が即位。諸葛亮が丞相として蜀漢の政治を統括。呉と同盟を再結する。
諸葛亮が南蛮王孟獲を七度捕らえ七度解放し、心服させた南征。「攻心為上、攻城為下」の哲学を実践し、南方を安定させて北伐の基盤を整えた。
諸葛亮が南蛮を平定し、孟獲を七擒七縦して南中を安定させた。
南中で孟獲が反乱。諸葛亮は七縦七禽で孟獲を心服させ、南方を平定する。
曹丕が洛陽で病死。魏の第二代皇帝。子の曹叡が即位。
諸葛亮が北伐出陣に際し後主劉禅に奉った上奏文「出師の表」。「臣本布衣、躬耕於南陽」で始まるこの文書は、忠義と報恩の精神を綴った中国文学の最高傑作の一つとされる。
諸葛亮が北伐に出陣する際、後主劉禅に出師表を上奏した。
諸葛亮が「出師の表」を奉じて第一次北伐を開始。街亭の戦いでは馬謖の失策により撤退を余儀なくされたが、以後も五度にわたって北伐を繰り返した。「鞠躬尽瘁、死而後已」の言葉通り、蜀漢の再興に生涯を捧げた。
第一次北伐で馬謖が街亭で大敗。諸葛亮は涙ながらに馬謖を処刑し、自らも降格した。「泣いて馬謖を斬る」の故事が生まれた。
諸葛亮が祁山から北伐を開始。馬謖が街亭の戦いで大敗。諸葛亮は馬謖を斬り、自らの秩を降す。
諸葛亮が第一次北伐を開始し、隴右三郡を降したが、街亭の敗北で撤退した。
魏
曹休が呉の陸遜に石亭で大敗し、魏軍は大きな損害を被った。
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