劉備
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GLOSSARY

用語集

三国志の事件・策略・制度を解説

戦役208年

赤壁の戦い

後漢末期、曹操の大軍(約20万)と孫権・劉備連合軍(約5万)が長江の赤壁で激突した大海戦。周瑜の指揮のもと、黄蓋が偽降伏を装い火船で曹操の水軍に突入。連環の計で鎖でつながれた曹操の船団は炎上し、曹操は大敗を喫した。この戦いにより天下三分の形勢が確定した。

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策略207年

天下三分の計

諸葛亮が劉備に献策した天下統一の戦略。曹操が北方を制し、孫権が江東を固める中、劉備は荊州・益州を取り、呉と連合して曹操に対抗するという三国鼎立の構想。「隆中対」とも呼ばれ、後の三国時代の形成を予言した卓越した戦略眼として名高い。

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故事184年頃

桃園の誓い

劉備・関羽・張飛が桃の花咲く園で義兄弟の契りを結んだとされる故事。「生まれた日は違えど、死ぬ日は同じくせん」と誓い合い、漢室再興を誓った。三国志演義の冒頭を飾る名場面で、義兄弟の絆の象徴として後世に語り継がれている。

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戦役200年

官渡の戦い

曹操と袁紹が北方の覇権を争った大戦。兵力で劣る曹操が、許攸の内通により袁紹の兵糧庫・烏巣を奇襲し、大勝利を収めた。この戦いにより曹操は北方統一への道を開き、袁紹は失意のうちに病没した。三国志三大戦役の一つ。

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故事207年

三顧の礼

劉備が諸葛亮を軍師として迎えるため、隆中の草廬を三度訪問した故事。最初の二度は諸葛亮が不在で会えず、三度目にようやく面会が叶った。この誠意に感動した諸葛亮は劉備に仕えることを決意した。「三顧の礼」は現在でも誠意を持って人材を招く意味で使われる。

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策略208年

連環の計

赤壁の戦いで用いられた策略。曹操の水軍が波に慣れていないことを利用し、船を鎖でつなぎ合わせて安定させた。これにより火攻めの効果が飛躍的に高まり、黄蓋の火船攻撃で曹操軍は壊滅した。貂蝉が呂布と董卓を離間させた策も「連環の計」と呼ばれる。

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TRIVIA

三国志豆知識

知っているようで知らない、三国志の意外な事実

3 / 8
地名
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Q.

成都は現在のどこにある?

A.

中国・四川省成都市

蜀漢の首都・成都は現在の中国四川省成都市にあたる。三国時代から現代まで約1800年以上にわたって都市として栄え続けており、現在も四川省の省都として2000万人以上が暮らす大都市である。

豆知識一覧

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POEMS & WRITINGS

詩文・名文

乱世の英雄たちが遺した言葉の記録

出師表
諸葛亮
227年

出師表

(すしていひょう)

臣亮言:先帝創業未半、而中道崩殂。

「此誠危急存亡之秋也」

蜀の丞相・諸葛亮が、後主劉禅に対して北伐を行うことを奏上した上表文。忠誠と決意に満ちた名文として、後世に広く伝えられている。中国の古典文学として最も有名な散文の一つであり、日本の漢文教育でも必修とされるほどである。

文化
帛書で読む
短歌行
曹操
建安年間

短歌行

(たんかこう)

対酒当歌、人生幾何。

「譬如朝露、去日苦多」

曹操が作った楽府詩。人生の短さと、天下統一への野望を詠んだ名篇。「対酒当歌、人生幾何」という冒頭の句は特に有名で、後世に広く引用されている。赤壁の戦い前夜、曹操は船団の上でこの詩を朗詠し、将兵を鼓舞したという逸話がある。

文化
帛書で読む
観滄海
曹操
207年

観滄海

(かんそうかい)

東臨碣石、以観滄海。

「日月之行、若出其中」

曹操が烏桓討伐の帰路、渤海を望んで詠んだ四言詩。壮大な自然の描写と詩人の雄大な胸懐が見事に調和した代表作。「日月之行、若出其中。星漢粲爛、若出其里」という句は、曹操の天下統一への野望を象徴している。

文化
帛書で読む
洛神賦
曹植
222年

洛神賦

(らくしんふ)

其形也、翩若驚鴻、婉若游龍。

「榮曜秋菊、華茂春松」

曹植が洛水の女神を讃えた辞賦。絶世の美女として描かれた洛神は、兄・曹丕の妻となった甄氏をモデルにしたという説がある。「翩若驚鴻、婉若游龍」という描写は、中国古典文学における美女描写の最高峰として知られる。

文化
帛書で読む
七歩詩
曹植
220年以降

七歩詩

(しっぽし)

煮豆燃豆萁、豆在釜中泣。

「本是同根生、相煎何太急」

曹植が兄・曹丕から七歩の内に詩を詠めと命じられて作ったとされる詩。兄弟の相煎じる様を豆と萁のたとえで詠み、曹丕の心を動かしたという逸話が有名。兄弟の悲劇的な関係を象徴する作品として知られる。

文化
帛書で読む
薤露行
曹操
建安年間

薤露行

(かいろこう)

惟漢廿二世、所任誠不良。

「白骨露於野、千里無鶏鳴」

曹操が漢の衰微を嘆いて作った楽府詩。董卓の乱後の混乱した世相を詠み、漢王朝の再興への願いを込めた作品。「白骨露於野、千里無鶏鳴」という句は、当時の戦乱の惨状を生々しく描写している。

文化
帛書で読む
後出師表
諸葛亮
234年

後出師表

(ごすしていひょう)

臣鞠躬尽瘁、死而後已。

「至於成敗利鈍、非臣之明所能逆睹也」

諸葛亮が第五次北伐に出陣する前に後主劉禅へ奏上した上表文。前出師表が忠誠と希望に満ちた文章であるのに対し、後出師表は「臣鞠躬尽瘁、死而後已」という悲壮な覚悟の言葉で知られる。この年、諸葛亮は五丈原で陣没し、二度と成都の地を踏むことはなかった。

文化
帛書で読む
典論・論文
曹丕
220年頃

典論・論文

(てんろん・ろんぶん)

文章経国之大業、不朽之盛事。

「年寿有時而尽、未若文章之無窮」

曹丕が著した文学論。中国最古の文学批評書として知られ、「文章は経国の大業、不朽の盛事なり」という一節は文学の価値を高らかに宣言した名言として後世に伝わる。建安七子の文学を論評し、各人の長所と短所を鋭く分析した。文学史上きわめて重要な著作である。

文化
帛書で読む
隆中対
諸葛亮
207年

隆中対

(りゅうちゅうたい)

今操已擁百万之衆、挟天子而令諸侯。

「誠如是、則霸業可成、漢室可興矣」

劉備が三顧の礼をもって諸葛亮を訪ね、天下三分の計を授けられた際の問答。「天下三分の計」として知られるこの戦略は、後の三国鼎立の礎となった。諸葛亮が草廬の中で語った天下の形勢分析は、中国史上最も有名な戦略論の一つである。

文化
帛書で読む
求賢令
曹操
210年

求賢令

(きゅうけんれい)

今天下尚未定、此特求賢之急時也。

「唯才是挙、吾得而用之」

曹操が発した人材登用の令。「唯才是挙」(才能のある者のみを挙用せよ)という革新的な思想を掲げ、出身や道徳にかかわらず才能ある者を積極的に登用することを宣言した。この令は三度にわたって発せられ、曹操の人材政策の根幹をなした。

文化
帛書で読む
帰去来辞
陶淵明
405年

帰去来辞

(ききょらいのじ)

帰去来兮、田園将蕪胡不帰。

「悟已往之不諫、知来者之可追」

東晋末の詩人・陶淵明が官職を辞して故郷に帰る際に詠んだ辞賦。「帰りなんいざ、田園将に蕪れんとす」という冒頭の句は、官界への決別と自然への回帰を高らかに宣言した名文として知られる。三国時代の後、乱世を生き抜いた人々の心情を代弁する作品として広く愛された。

文化
帛書で読む
赤壁賦
蘇軾
1082年(北宋)

赤壁賦

(せきへきのふ)

清風徐来、水波不興。

「固一世之雄也、而今安在哉」

北宋の文豪・蘇軾(蘇東坡)が赤壁を訪れて詠んだ辞賦。三国時代の赤壁の戦いを回想しながら、人生の無常と自然の永遠を対比させた哲学的名文。「客有吹洞簫者、倚歌而和之」という情景描写と、「逝者如斯、而未嘗往也」という宇宙観は後世に深く影響を与えた。

文化
帛書で読む
燕歌行
曹丕
220年頃

燕歌行

(えんかこう)

秋風蕭瑟天気涼、草木搖落露為霜。

「明月皎皎照我床、星漢西流夜未央」

曹丕が作った七言詩。妻への思慕と秋の寂寥を詠んだ作品で、中国最古の完全な七言詩として文学史上重要な位置を占める。「秋風蕭瑟天気涼、草木搖落露為霜」という冒頭は、三国時代の文学の中でも特に洗練された表現として知られる。

文化
帛書で読む
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太史慈

字:子義 後漢末期

太史慈

建昌都尉

「大丈夫生世、当帯七尺之剣」

大丈夫が世に生まれたなら、七尺の剣を帯びるべきだ

弓の名手として名高い呉の猛将。孔融救援のため単騎で包囲網を突破した逸話で知られる。孫策と一騎打ちを演じた後に意気投合し呉に仕えた。「大丈夫生まれて功名を立てずんば死すとも惜しまず」の言葉を残した。

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