名馬 · 東漢末期

(てきろ)

的盧

名馬東漢末期

解説

劉備の愛馬。

額に白い斑点があるため「的盧」と名付けられた。

「的」は弓の的(まと)のことで、額の白い斑点がまるで射的の的に見えることからこの名がついた。

\n\n【凶馬の噂】\n古代中国では「白額の馬は乗る者に凶事をもたらす」という不吉な噂があった。

的盧もその例外ではなく、劉備の配下の中には「この馬に乗ると祟りがある」と忌避する者もいた。

しかし劉備は一笑に付した。

「命は天に在り、馬に非ず」と的盧に跨った。

\n\n【躍馬檀谿——九死に一生を得た奇跡】\n劉備荊州牧・劉表に客将として留まっていた頃、劉表の後妻蔡氏の弟・蔡瑁は劉備を陥れようと企んだ。

ある日、劉備は宴席に招かれたが、それが罠だと気づき、慌てて脱出した。

蔡瑁は追手を差し向け、劉備は檀谿という深い渓谷まで追い詰められた。

\n\n前は深い淵、後ろは追手——絶体絶命の窮地で、劉備は的盧に向かって叫んだ。

\n「今日こそは、お前に我が命を託す!必ずや飛び越えてくれ!」\nすると的盧は一際大きく嘶き、後ろ脚を力強く踏ん張ると、一躍三丈(約7メートル)もの淵を飛び越え、対岸に着地した。

追手は呆然と立ち尽くし、劉備は九死に一生を得た。

後に劉備益州の主となり、漢中王にまで登り詰めたが、その礎はこの日、的盧の一躍にあったと言えよう。

\n\n【鳳雛を背に——縁起と現実のはざまで】\n後に劉備益州に入る際、軍師・龐統が的盧に乗せてもらった。

龐統は「鳳雛」と号されていたが、落鳳坡という不吉な地名に近づいた時、「鳳が落ちる丘」と危惧した。

そこで矢が飛来し、龐統は戦死してしまった。

的盧は凶馬という噂を裏付けるような結果となったが、劉備自身は最後まで的盧を愛し続けたという。