(せきとば)
中国史上最高の名馬の一つ。
「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と謳われ、三国時代を代表する名馬として名高い。
全身が炎のように赤く、兎のように素早いことからこの名が付いたとされる。
\n\n【乱世を駆け抜ける赤き流星】\n董卓が呂布を籠絡するため、自らの愛馬である赤兎馬を贈った。
呂布は赤兎馬に跨り、並ぶ者なき勇猛を見せた。
虎牢関の戦いでは、赤兎馬の神速の脚力を活かして諸侯連合軍を翻弄し、「人中呂布」の名を不動のものにした。
\n\nしかし白門楼の戦いで呂布が縛り上げられ、処刑される日が来た。
赤兎馬は曹操に献上されたが、新しい主を見つけていた。
曹操が関羽を厚遇し、赤兎馬を贈ると、関羽はその馬に乗り千里を走り抜いた。
五関突破、六将を斬り、古城の兄弟との再会を果たす——その背に乗っていたのが、忠義の漢・関羽であった。
\n\n【最期——義馬の殉死】\n建安二十四年、関羽が荊州で呉軍に捕らえられ、麦城で壮絶な最期を遂げた。
勝利者の馬忠が赤兎馬を奪い取ったが、赤兎馬は新しい主人を認めなかった。
関羽の死を悲しみ、七日間水も草も口にせず、やがて静かに息を引き取ったという。
主君を失った名馬は、主君とともに死ぬことを選んだのだ。
後世に「義馬」と伝えられるゆえんである。