荊州北部の重要拠点で、対岸の襄陽と合わせて「襄樊」として機能した。
関羽が北伐を行い曹仁を包囲した樊城の戦いの舞台。
関羽は水攻めで于禁の七軍を壊滅させ「威震華夏」と称されたが、呂蒙の荊州奇襲により退路を断たれた。