魏 · 後漢末期〜三国時代
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ちょうりょう張遼Zhāng Liáo

字:文遠前将軍・征東将軍

生:169年·没:222年
演義

「張遼止まれ!と呉の子も泣き止む。」

─ 張遼が来たぞ!という声で、呉の子供も泣き止むほどだ。

出典:『三国志演義』第67回(合肥の戦い・張遼の武勇)

元・呂布の部将だったが白門楼での関羽の口添えで曹操に仕えた前将軍。

合肥の戦いでわずか八百の精鋭で孫権の十万の呉軍に夜明けの奇襲を敢行し孫権自身を旗の下に追い込んだ。

この快挙から「張遼来たる(遼来々)」と聞くだけで呉の子供たちが泣き止んだという故事が生まれた。

曹魏武将の中でも随一の英傑として三国志演義でも特に詳しく描かれる。

詳伝・エピソード

張遼は元・呂布の部将だったが、白門楼での関羽の強い口添えで曹操に仕えることになった。

合肥の戦いで最も輝いた武将である。

孫権率いる十万の呉軍に対し、張遼はわずか八百の精鋭で夜明けの奇襲を敢行。

孫権軍の陣内深く突破し、孫権自身を旗の下に追い込んだという。

この奇襲で孫権軍は壊滅的打撃を受け、以後「張遼来たる」と聞くだけで呉の子供たちが泣き止んだという「遼来々(りょうらいらい)」の故事が生まれた。

合肥の戦いにおける張遼の武功は三国志演義でも特に詳しく描かれ、曹魏の武将の中でも随一の英傑として名が高い。